vol.7

木の学校づくりネットワーク 第7号(平成21年4月11日)の概要

  • 巻頭コラム:「木質”この極めて人間的な材料”の研究に携わって」香取慶一(東洋大学工学部建築学科准教授)
    私こと、もともとは(業界用語でいえば)いわゆる「コンクリート屋(コンクリートを対象とする研究者や技術者)」に属する人間です。縁あって東洋大学建築学科の一員となり、またWASSの研究メンバーとなってから、初めて木材(あえて木質という言葉を使わせていただきます)に関連する研究に携わりました。
    建築物の主要な構造材料が、コンクリート、鋼鉄、木質ということは、おそらくどこの大学の建築学科の講義でも習うことですが、私たちコンクリート屋は、一種の呪縛じみた観念を持っています。それは、「コンクリートは計算に乗らない」(数値的な判断が難しい、挙動の関数表現化が難しい、力学的性質にばらつきが大きく、数値解析が難しかったり実験の再現性に問題があったりする)ということでしょうか。強度設計(調合)の概念が確率論に立脚する、養生方法によっても強度発現が大きく異なる、強度は同じでも変形性能が異なるなど、悩ましい点です。実験が事前の予想と大きく異なっても、「計算に乗らない難しいものを扱っているんだ」の一言で、それとなく納得してしまうことも少なからずあります。
    で、そのような人間が木質に関連した研究(鉄筋コンクリートと木質を併用・混用したハイブリッド構造)をこの2年ほど行なっています。2年たって思うことは、「木質はコンクリート以上に手ごわい材料だな」ということでしょうか。反り、曲がり、欠点、含水率、(今一番手を焼いている)強度異方性など、コンクリートや鋼鉄とは根本的に考え方の違う概念を理解していないと詳細な研究ができない、「計算にのらない云々」で納得してしまっては先に進まない、などなど。奥深くかつ考え方によっては恐ろしい材料だな、という点でしょうか。
    と、ここまで書いてふと思ったのですが、「『計算に乗らない』とは、人間の思考・嗜好なり生活なりの多様性に似ているのではないか。木質は極めて人間的な材料なのではないか。」という点です。太古から同じ地球あるいは同じ国、同じ地域、同じ空間で人間と木質は共存共栄してきました。同じ空気に囲まれ、同じ水に潤い、同じ光を浴び、同じ土に触れて育まれる・・・人間の多様性と木質の多様性は、このような同じ営みを通じて形成された「共通項」なのかも知れません。人格形成の重要な時期である15歳までの多くの時間を過ごすであろう学校建築を(構造的にあるいは内装を)木質化することの意義の一つも、このような共通項によることなのでしょう。
    私はこの4月以降も、ハイブリッド構造の力学的研究のテーマを継続して行います。木質の奥深さに敬服し、悩み、恐れおののくことでしょう。
    木質と人間の多様性の理解・・・私が木質の多様性を理解することと、妻の考えを理解することのどちらが早いのでしょうか。連れ添って15年、いまだに良く分かりません。気になるところです。
  • 最近のトピックス:「木のまち・木のいえ推進フォーラム発足」
    住宅・建築物への木材の利用を促進しようと、産学官が連携して活動を展開する「木のまち・木のいえ推進フォーラム」(代表=有馬孝禮宮崎県木材利用技術センター所長・東大名誉教授)が2月27日に発足しました。東京都内で設立大会が開かれ、フォーラムの活動目的や具体的な行動などを宣言。このフォーラム発起人には建築と木材の学識者や、設計、施工、木材加工業分野の代表者が名を連ね、木材利用の促進、木造住宅・建築の普及を目指して以下のような5つアクションがとられるようです。

    ① 住宅生産者と木材生産者の交流会を通した良質で長寿な木造住宅ストックの形成
    ② 耐久性の高い木製品、マンション内装材など木材の可能性をひろげる製品・技術の開発
    ③ 中小住宅生産者の技術力の向上支援を通した次世代への木造技術の伝承・担い手の育成
    ④ 学校などの公共施設の木造化・木質化の推進技術の検討・分析と伝統的構法による木造住宅に係る環境整備による、木材が利用しやすくなる環境づくり
    ⑤ 消費者・次世代への「木の文化」「木造の文化」の再発信、各種支援措置が検索できるシステムの整備など、木造住宅・建築物に関する積極的な情報発信

    以上の内容から川上から川下までの関係を再構築する力強い枠組みなることが期待できそうです。フォーラムでは内田祥哉東京大学名誉教授による戦後の木造建築に関する基調講演が行われ、フォーラム設立の歴史的な背景と今後の木造建築に対する展望が語られました。ここでは基調講演の「木造建築と森林資源」の概要を紹介させていただきます。
    ■戦後の木造建築
    内田先生が逓信省営繕に入られた1947年には、戦時中の空襲で、大都市は殆どを焼土と化して、420万戸の住宅不足と言われていました。鉄もセメントもガラスも不足するなか、国土に残された森林が唯一の頼りで、事務所建築も国産材で2階建てられる時代でした。一方世論としては関東大震災と戦時中の空襲による戦災で、戦後は木造建築が、都市を都市火災の燃料と見られるようになり、都市を火災から守ろうとする世論の盛り上がりによって、ついに1959年の建築学会の大会における「都市に於ける木造禁止」を求める動きにまでなりました。
    ■木製型枠が支えた日本のコンクリート造
    木造建築の建設が減少して、コンクリート造が戦後の都市復興の主要な構造となりながらも木材は枯渇してゆきました。日本のコンクリート造の普及を支えたのも木材だったのです。海外では高価な型枠工事も優秀な大工職の存在によって、日本では容易に行われ、全国的に普及したのです。
    ■木造建築の見直し
    その後1981年建築基準法が性能規定を取り入れ、限界耐力の検証を認めるようになったことで、それまであった木造独自の耐力基準が見直され、都市における木造建築建設の可能性が広げられました。近年は国内の森林資源に再生の兆しが見え、木造に関する研究分野においても、伝統的建 築の耐久性、限界耐力検証の実験が進み、防火についても、燃え代設計、木製防火戸が認可され、木造建築の建設に従事する技術者や、この分野に興味を持つ学生も年々増加しているようです。

  • WASS研究室から

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