木の学校づくりネットワーク 第32号(平成23年8月6日)の概要

  • 第1回埼玉県産木材活用の研修会開催
  • 木造の仮設住宅による災害復興プロジェクト
  • WASSへ投稿文:松田昌洋氏:
    “学校建築”の誕生
    明治5年(1872)の学制発布によって、日本初の学校制度が定められた。当時の小学校校舎は寺院や民家を借用したものが70%以上(明治8年(1875))を占めており、いわゆる”学校建築”の整備は進んでいない状況であった。明治12年(1879)の教育令を経て、明治19年(1886)の学校令によって義務教育が開始されて以後、就学率が上昇し、校舎が整備されていくこととなる。また、これらの建物には洋風建築技術や工学が導入され、木造の継手・仕口が伝統構法から金物や釘などによる接合となり、洋小屋やトラスなどが登場する。
    明治時代
    明治28年(1895)に文部大臣官房会計課建築掛は学校建築の規範を示すために「学校建築図説説明及設計大要」を発行した。この中で、廊下幅6尺、教室幅21尺、階高12尺1寸の片廊下式平屋の尋常小学校などの実例(図1)が示されており、洋小屋や吊りボルト、接合具としてのボルトや帯金物などが導入されている。ただし、ここでは建築構造についてはあまり言及されておらず、原則平屋とすることや地盤から天井までの寸法の規定などが関係する程度である。
    木造建築が大打撃を受けた明治24年(1891)の濃尾地震の翌年に、文部省は建築物の耐震研究機関として震災予防調査会を設立した。そして、明治28年(1895)に出された「小学校改良木造仕様」(震災予防調査会報告vol.6)では明治27年(1894)に発生した庄内地震後の指針として、基礎、小屋組の寸法等の規定や、ボルト接合による筋かいや方杖、火打土台などが提案されている。
    大正時代
    濃尾地震以来、耐震要素としての筋かいという考え方が登場するが、筋かいの設置が制度として初めて現れたのは大正2(1913)年の「東京市建築条例案」である。この第3編第2章「木造、木骨造及び土蔵造建物」では筋かいの設置とともに高さ制限、土台の設置、柱の小径、継手・仕口の規定が盛り込まれている。その後、大正7年(1918)の「警視庁建築取締規則案」を経て、大正8年(1919)に「市街地建築物法」が制定された。この中で3階建て木造建築に筋かいを使用することが初めて定められた。ただし、木造建築では仕様は規定されたが、構造計算は求められていない。関東地震の翌年、大正13年(1924)の耐震に重点を置いた改正(地震力としての水平震度0.1の導入)でも木造建築は仕様の強化(柱の小径の増加、2階建てまでの建物についても筋かい、方杖設置を義務化)のみである。また、市街地建築物法は都市部のみの適用であり、都市部でも防火規定等を除いて適用されない地域もあった。
    昭和時代~現在
    昭和2年(1927)の「木造小学校建築耐震上ノ注意」(震災予防調査会報告vol.101)では、住宅などの小規模建築と同じ構法で小学校が建てられている状況が多いことから、校舎の耐震上の要点を指摘している。ここでは2階建ての場合には通し柱を多くすることや筋かい、方杖、火打を設けて三角形を構成すること、接合部には金物を用いて補強することが挙げられている。
    昭和9年(1934)の室戸台風では多くの木造小学校が倒壊した。市街地建築物法には風圧力についての規定はなかったことから日本建築学会は木造規準調査委員会を設置し、実大実験を行うとともに昭和13年(1938)に「木造二階建小学校校舎構造一案」を提案した。委員会では地震力とともに一定の風圧力にも抵抗しうる構造を目指して検討が行われ、水平構面剛性を確保する(小屋組や床構面を固めて建物全体で水平力に抵抗する)構造が採用されている。具体的には廊下部分を中心に、小屋梁や
    床の火打に替えて、端部ボルト留めの水平ブレースを設置している(図2)。またこの結果、壁を設けることのできない教室内部の構面にある方杖は、柱と梁の接合部の補強材としてのみ位置づけられることとなった。
    木造規準調査委員会の検討過程で、荷重の組み合わせや長期及び短期の許容応力度の考え方が持たれるようになったことから、昭和18年(1943)、19年(1944)年の「臨時日本標準規格」を発展させ、昭和22年(1947)に「日本建築規格建築3001 建築物の構造計算」、これに準拠した日本建築学会「木構造計算規準」が作成された。また、同年に「日本建築規格 小学校建物(木造) JES1301」(昭和24年(1949)に「日本建築規格 木造小学校建物 JES1302」、「日本建築規格 木造中学校建物 JES1303」に変更)が制定された。
    昭和24年(1949)には日本建築学会「木構造計算規準・同解説 附 木造学校建物規格の構造計算」が発行された。ここではJES1302、1303の2階建て木造校舎の一般教室部の構造計算例が図面とともに示されている。「木造二階建小学校校舎構造一案」と大きく異なる部分は、1階の教室間仕切壁端部の柱が2本ずつになったこと、水平ブレースが廊下だけではなく教室側にも設置されたことなどが挙げられる。
    昭和25年(1950)年に市街地建築物法が廃止となり、建築基準法が施行された。地震力が水平震度0.1から0.2に引き上げられるなどの変更があったが、木造建築については壁量規定が盛り込まれたことが大きな特徴である。このきっかけとなったのは木造校舎も大きな被害を被った昭和23年(1948)の福井地震である。この地震で被害を受けた木造住宅と壁量との関係が調査され、耐震性確保のために筋かいなどの壁が必要であるということになった。壁量規定は住宅に限らず、木造であれば学校建築などにも適用される規定であるが、現在では一部の構造計算を行った場合などは外すことが可能となっている。
    昭和31年(1956)に2階建て、平屋の木造校舎の構造設計標準を規定したJIS A 3301(木造学校建物)が制定された。木造建築の構造についての技術的困難を取り除き、経済的で安全な学校が建設されることを意図したものとなっており、教室の大きさなどによって場合分けがなされ、それぞれについての架構及び仕様が定められている。なお現在、新築で使用されることはまずないと考えられるが、この規格に従った場合は建築基準法施行令第48条の規定を外すことができる。
    昭和36年(1961)の日本建築学会「木構造設計規準・同解説」は昭和34年(1959)の建築基準法改正に伴い、昭和24年の規準を大幅に改正したものであり、集成木材構造設計規準が新しく追加された。木構造計算例としてJIS A 3301の木造校舎の構造設計計算(図3)も掲載されている。
    その後、建築基準法改正によって昭和56年(1981)に新耐震基準の導入、平成12年(2000)に性能規定化が行われ、構造設計そのものの考え方も大きく変わってきた。また、昭和62年(1987)に大断面構造用集成材の燃えしろ設計が告示で示され、平成16年(2004)にはJAS製材もその対象となった。そして、平成23年(2011)5月に国土交通省大臣官房官庁営繕部「木造計画・設計基準」が制定され、木の学校づくりを進めやすい状況への第1歩を踏み出したところである。

    参考文献
    (1)西川航太:近代木造校舎の耐震改修法に関する研究
       -方杖と水平構面の剛性に着目して-、
       東京大学大学院修士論文、2009年3月
    (2)坂本功 監修:日本の木造住宅の100年、
       社団法人 日本木造住宅産業協会、1997年
    (3)杉山英男:地震と木造住宅、丸善、平成8年
    (4)日本建築学会図書館デジタルアーカイブス
       (https://news-sv.aij.or.jp/da1/index.html)

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